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陽転思考 38歳の時の骨折体験が人生を変えたお話

 

 

「陽転思考」とは物事を太陽のように明るく転じて見ていこうとする考え方で、私のアクティブブレインの師匠である小田全宏さんが「陽転思考」という本を書いており、アクティブブレインの基本になる考え方です。

 

下記の文章は今から11年前にmixiに書いた日記ですが、今思い起こすと自分なりの「陽転思考」だったのかなと思っています。

 

私が小田全宏さんに初めて会ったのは、陽転思考が出版される3年前の1991年ですが、それまでに講演などで陽転思考の話は聞いていたので、本が出版されてから直ぐに購入し、繰り返し読んだ記憶があります。

 

 下記の経験は、今から14年前に経験したお話ですが、この経験が無ければ、アクティブブレインの講師になる事はなかったと思います。少し長いですが読んで頂ければ幸いです。

 

「骨折3周年」  2007年7月6日のmixi日記

 

事件は、3年前の7月5日に起きた。 

 

丁度その頃は、大人になってインラインスケートを始めて数ヶ月が経過し、難しい技にチャレンジしたくなったので、会社から早めに帰宅し、近所にあるストリートスポーツ広場に出かけた。 

 

チャレンジした技は、アグレッシブといわれる部類に属する物で、スノーボードのハーフパイプがコンクリートで出来ているといったらわかりやすいかもしれない。 

 

しかしながら、ヘルメットは持参したものの、手首を保護するプロテクターを忘れてしまい、プロテクター無しでコンクリートの壁に登る事になった。 

 

登る事が出来たのは良いが、降りるときにバランスを崩してしまい、結局「スッテンコロリン」と転んでしまい、手には激痛が走った。そしてすぐに帰宅して病院へ向かう。 

 

病院で下された診断は、「完治するのに2ヶ月から3ヶ月はかかるでしょう」との事。 

 

病院から帰宅すると次女が玄関まで飛んできて、「パパはどの骨を折ったの?」と尋ねたので、「とう骨だよ」と答えると、台所で妻と長女が「やっぱり、予想通りね」と言う反応が返ってきた。不思議に思って台所に行くと親子三人でテーブルの上で人体絵本というのを広げていて、父親が骨折した骨の名前についてディスカッションしていたようだ。 

 

一応家族には、最低2ヶ月は右手が使えない事を説明して、 

協力をお願いする事になった。 

 

利き腕である右手を骨折して分かったのだが、 

 

1.ご飯を食べるのが困る。 

2.夜中に寝返りを打つと激痛が走る。 

3.左手でトイレに入って紙で拭くにはテクニックを必要とする。 

4.スーツを着る事は困難である。 

5.左手だけでパソコンを使おうとすると10倍以上時間がかかる。 

 

という現実に直面してしまった。 

最低2ヶ月は利き手が使えないビジネスマンは仕事ができるのだろうか? 

ビジネスマンとして致命傷ではないか? 

 

とも一瞬思ったが、仕方が無い。自業自得である。 

 

一応次の日は、会社を半休して、妻と一緒に骨折者専用グッツを買いに行き、午後には会社に向かった。 

 

会社に行く途中気付いた。 

1.「スーツを着ていないから涼しい」 

丁度その時は暑い夏だったので、前日まで私は汗だくになって会社を往復していた。アインノンも持参していたので、汗拭きようのタオルもいつもひんやりしていた。 

 

会社に行ってから気付いた。 

2.「右手を吊っているだけで注目して、同情してくれる」 

 

という事で、会社で色々な人に会うたびに、「手は使えないけど口は使えるので、しゃべる仕事ならどんどんするよ」 

 

と言ったら、本当になった。 

 

3年前の7月、8月だけで、東京・静岡・名古屋・大阪・広島・福岡等の様々な場所でセミナーの講師の仕事の依頼が来て、右手を吊った状態で各種講演をする事になった。 

 

そもそも右手を吊った講師が登場すると聴衆は注目するので、スピーチの最初に右手骨折のいきさつを説明してから本題に入ったので、リラックスして聞いて頂き、セミナーの満足度の数値は高まった。 

 

結局、右手が完治しても、各種勉強会等の講師依頼の話が来るようになって、「人前で話す」という事が自分の仕事の中での重要なポジションを占めるようになった。 

 

そのような経験をする事になり、「結局物は考えようなのかな?」と最近考えるようになった。自分に起きた出来事をどう解釈するかによって、人生が楽しめたり楽しめなかったりするという事を。 

 

しかしながら、実は自分の右手は完治していない。 

 

 

字を書くことが困難になってしまい、以前から汚くて雑だった字がさらに雑で、汚くなってしまった。したがって、ノートの文字もぐちゃぐちゃで判別ができなく、役所に提出する書類は殆どすべて妻にお願いしている。 

 

そういう意味で自分の人生の右腕であり、パートナーである妻には今でもとても感謝している。